すべての畏怖

久々にノートパソコンを開いたからここからなにか発信しようと考え15分。こうしている間にも俺の一部は死んでいるんだよな。そうだとしたら意識不明の時間軸では壮大な死が流れ流れていったのか。何が許されてこの世に戻ったのか。(匙を投げられたのかもしれない)

俺も現代人なので病みやすい部類ではあるけど、上記参照15歳までに散々三途の川をぼのぼののごとく漂流してたし、治療の一環で採血やら刺激的なアレコレ(治療です)をされたから自分で自分に傷をつけるって発想が浮かばなかった。それじゃあメンヘラなくてよかったじゃんって話なんだけど医療行為マゾという病歴が性癖に昇格した厄介者で、医学生とか医療従事者と恋仲になってたらヤバいことになっていた。

最近の我が家はえらい静かです。所有物の一部と別れを告げ、一部は実家へ送還、一部は箱の中に納められ必要最低限の物と空間を過ごしているのだけどなんでだろう心が安らぐ。感情のように1人で抱えるには少し多かったのかな。これでも少ない方なんだけど。実家はそれなりに物がある。父が幼少期から過ごしてた建物だからそれだけの記憶と歴史がたたずんでいる。自分以外の物があるのは構わないけど、いつからかたくさん物を持つのが苦手になった。なんでだろうなんでだろう。

1.感情も物も扱い方が下手だったから。

2.病室に持ち込める私物の容量が少なかった

これらの名残か。そうに違いない。

そんな俺でも今は詩を書き絵を描き展示したり本を作ったり朗読している世界に足を踏み入れているわけで、ここ2年書きまくって(少ないけど)結果短歌のが書きやすいのかなと考えたり、でも入口は詩だし、読むのも書くのも感じるのも好きだからそれも続けるのは確実で........今までと同じく飽きるまで書くんだろうな。飽きても媒体を変えてるかもしれない。