休日は久しぶりに東京へ行った。もちろん芸術を摂取するために。
東京現代美術館の高橋龍太郎コレクションという展示会だった。恋人の最推しである塩田千春さんの作品が見れるから行こうと言われ
ふたつ返事。
入ってすぐにサルトル来日の新聞紙があってアツかった。当時の新聞と、古い書籍を眺め振り向いたら夥しい⚪️⦿◯平●面の゜‥◉立体⦿でも❍。…
数年前彼女単独の大個展を観に行った時を思い出した。生命ではない、本能の一部を支えている「人として」の部位を見透かされ、己の汚い部分を対面で晒しているような、室内だけど裸になったような、けど通過儀礼のような妙な受け入れをしているあの感覚……序盤でこれか、耐えられるか
という具合に始まった展示。油画、デッサン、抽象画に粘土、戦時の風刺画にブラウン管に映るハードプレイ、障子を走る魑魅魍魎……無言になるしかなかった。
これが、個人の手に?受け入れるには覚悟と忍耐がいるぞ…なラインナップ。
ゆっくり空間を進むと、現代に近い空気を感じる。昭和後期〜平成、令和。一気に視界も変わる。
色彩やタッチが見慣れたものになる。重鎮の平成作品も混じっているが、さすが美術館。個性が喧嘩しない配置になってる。インターネット黎明期を表したようなもの、「萌え」のコラージュ、レトリック、メディアミクスの素材も、どこか軽やかになってきた。
そんな中で邂逅した作品ふたつ。
1つは筆致と作風、呑み込まれそうな迫力が好きだと思った友沢コタオ氏の作品。
もう1つは、今出会うべきだと感じた。
見つけたけど答えじゃない、未解明な光で世界である、作風、使われてる色彩、纏うもの全てが私の中で完全に一致した。鈴木ヒラク氏の作品だった。
久々の芸術摂取ははじめて降りる駅に行く建物、巡時代も世界も飛んだしで疲れたけど、得るべき栄養を摂った。